最高裁判所第一小法廷 平成6年(行ツ)119号 判決 1998年4月30日
東京都世田谷区成城四丁目三一番二六号
上告人
村上静雄
右訴訟代理人弁護士
赤坂裕彦
流矢大士
佐藤康則
富永紳
東京都世田谷区若林四丁目二二番一四号
被上告人
世田谷税務署長 松原廣司
右指定代理人
山岡徳光
右当事者間の東京高等裁判所平成四年(行コ)第三五号所得税更正処分等取消、裁決取消請求事件について、同裁判所が平成六年三月三〇日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人赤坂裕彦、同流矢大士、同佐藤康則、同富永紳の上告理由について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認するに足り、右事実関係の下においては、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原審の認定に沿わない事実を前提とし若しくは独自の見解に立って原判決を論難するものであって、採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判所裁判官 遠藤光男 裁判官 小野幹雄 裁判官 井嶋一友 裁判官 藤井正雄 裁判官 大出峻郎)
(平成六年(行ツ)第一一九号 上告人 村上静雄)
上告代理人赤坂裕彦、同流矢大士、同佐藤康則、同富永紳の上告理由
目次
第一 所得税法第三六条第一項に規定する「収入金額」についての解釈適用の誤り・・・・・・一〇三三頁
第二 所得税法第三七条第一項に規定する「必要経費」についての解釈適用の誤り・・・・・・一〇三八頁
第三 弁論主義違反の主張・・・・・・一〇四〇頁
第四 所得税法第一二条に規定する「実質取得者課税の原則」についての解釈適用の誤り・・・・・・一〇四三頁
第五 事実認定についての経験則違反、自由心証主義違反、理由齟齬、理由不備の主張・・・・・・一〇四五頁
一 本件における経験則について・・・・・・一〇四五頁
二 「プール金システム」について・・・・・・一〇四七頁
三 上告人と田口及び山下間で相互に金員の授受が継続されてきた理由について・・・・・・一〇五七頁
四 プール金システムと昭和五四年から五六年にかけて、上告人と田口・山下間で相互に金銭の交付を継続してきた理由についての証拠の検討・・・・・・一〇六一頁
五 上告人が田口・山下から受領した金額について・・・・・・一〇六七頁
六 租税法律主義違反の主張・・・・・・一〇七五頁
七 まとめ・・・・・・一〇七七頁
第一 所得税法第三六条第一項に規定する「収入金額」についての解釈適用の誤り
一 原判決は、上告人が田口一徳(以下、田口という。)及び山下剛(以下、山下という。)から受領した金員を収入と認定し、他方、上告人が田口及び山下に交付した金員は、必要経費として控除する必要はないと判断し、上告人が田口及び山下から受領した金員が雑所得に該当し、その金額の範囲内の金額を総所得金額として課税をなした被上告人の本件各更正決定及び本件各過少申告加算税賦課決定は適法であると判示しているが、右判断は、「収入」の概念を見誤ったものであり、収入金額について定めた所得税法第三六条第一項の解釈適用を誤った違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れないものである。
二1 本件において、上告人は田口及び山下から毎月金銭を受領し、それに対応して上告人からも田口及び山下に対し、昭和五四年乃至昭和五六年当時においては、上告人の報酬の手取り額の三分の一ずつが毎月右田口及び山下に対して支払われているほか、昭和五七年一月ころには、上告人のテイービーエス・ブリタニカの退職金から田口らに八一〇万円ずつが支払われたことについては、両当事者間に争いはなく、また原判決において適法に確定された事実である。原判決は、判決理由二の4項で「そもそも、田口ら及び控訴人の出した金員の額が、控訴人主張のようにほとんど差がないとすれば、前示のような複雑な計算方法によったり、かつ年数を掛けたりして相互に金銭を支出することの意味を見いだすことは困難というべきである(控訴人本人の供述するような相互の団結ということのみでは、田口らと控訴人との立場の違い、収入の性質の違いなどを考えれば、説明をし難いところであると考える。)。」と判示し、あたかも昭和五四年度乃至昭和五六年度間の上告人と田口、山下の上告人に対する支払の金額については争いがあるものの、上告人と田口、山下との間の相互の月々の支払いはゆるぎない事実である。なお、上告人が山下及び田口に交付した各月の金額、上告人が田口及び山下から受領した各月の金額(原判決が認定した金額と上告人が認めていた金額)は次表のとおりである。
<省略>
<省略>
<省略>
そこで、右上告人と田口間、上告人と山下間で毎月相互に金銭のやりとりが継続されていた事実を如何に評価するかであるが、右は金銭と金銭の交換が行われてきたとみるべきであって、上告人が田口及び山下から受領した金銭と上告人が田口及び山下に交付した金銭との差額(以下、「差額」という。)を上告人の得た収入金額と捉えなければならないものである。民法第五八六条は、「交換ハ当事者カ互に金銭ノ所有権に非サル財産権ヲ移転スルコトヲ約スルニ因リテ其効力ヲ生ス」と規定し、金銭と金銭との交換を交換契約から除外しているが、これは、金銭と金銭との交換は経済的に見れば実質的に価値の変動はないから通常は行われないであろうし、また実質的に価値の変動がないから法的効果を敢えて規定する必要がないとの判断に基づく規定であって、金銭と金銭の交換契約を認めない趣旨ではないから、金銭と金銭の交換も認められるべきである。けだし、仮に金銭と金銭の交換を認めず、そのような契約が無効であるとすれば、両替は金銭と金銭の交換に他ならないから無効になってしまうものであるが、両替が一種の無名契約として有効であることは、判例学説上争いがないからである。
2 そして、金銭と金銭との交換が行われた場合には、交換によって生じた差額を収入金額として捉えなければならないものである。けだし、両替については、差額が生じておらず、実質的に価値の変動がないから、金銭自体の移動を収入と見做さず課税がなされていないのであるが、金銭の交換の場合も両替の場合と何ら取扱いを異にしなければならない理由はないからである。もし仮に、金銭と金銭の交換が行われた場合に、移動した金銭それぞれが収入及び経費にあたるとすれば、両替の場合においてもそれぞれを一旦収入及び経費に計上しなければならなくなるが、そのような会計処理をしている者はおよそいないであろうし、そのような会計処理をせよと命じることは煩瑣な作業を強要するものであって社会通念に反し認められるものではないからである。また、交換に対する所得税法の規定を見ても、所得税法第五八条は、同種の物同志を交換した場合について譲渡がなかったものとみなす旨の交換の特例を認め、交換によって生じた差額(交換差益金)を収入とみなしているのは、差額を以て収入として捉えるべきであることが社会通念であるから、そのような特例を認めたものである。
3 本件においては、上告人と田口、上告人と山下との間でそれぞれ金銭の交換が行われていた場合であるから、上告人の得ていた収入は「差額」分である。原判決は、金銭と金銭の交換が行われていた場合に、上告人が受領した金銭そのものが収入にあたると判断したものであって、所得税法第三六条第一項に規定する「収入金額」の解釈適用を誤った違法な判決であり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れないものである。
三1 仮に百歩譲って、上告人から田口及び山下に対する金銭の交付と田口及び山下から上告人に対する金銭の交付が交換にあたらないとしても、上告人が田口及び山下から得ていた収入は、「差額」分であると解すべきである。
2 「収入金額」について、所得税法第三六条第一項は、「その年分の各種所得の金額の計算上収入金額とすべき金額又は総収入額に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、その年において収入すべき金額(金銭以外の物又は権利その他経済的な利益をもって収入する場合には、その金銭以外の物又は権利その他経済的な利益の価額)とする。」と規定し、この「収入すべき金額」について所得税基本通達は「収入する権利の確定した金額」をいうとしている。これは所得計算に算入すべき所得把握の時点を規定したものであり、その判断には対価の有無、現金授受の済否、現物引渡の了否等を問わない旨をあわせて明らかにしているものであり、収入金額を現金主義によって捉えるのではなく、なんらかの意味で収入すべきことが確定した金額によるべきこと(権利確定主義)を明らかにしたものである。そして、同通達三六―二以下で各種所得ごとに収入金額の計上の時期を示しているが、結局公平の見地から所得の実態に応じて判断すべきことを規定しているものである。
3 そこで、本件においてどの時点で収入が確定したかを検討するに、それは上告人と田口及び山下との間で各月ごとに各人の得た収入をもとに交付すべき金額を計算して相互に金銭を交付していたものであるが、結局その年の収入を把握するには、毎年年末に締めてその年に授受した金額の差額を計算するのが当事者の合理的意思に合致し、そのように考えるのが社会通念にも合致するから、本件の場合において、所得税法第三六条に定める「収入金額」は毎年末日に確定した「差額」分であると捉えなければならないものである。
4 しかるに、原判決は、田口及び山下から金銭の交付があった時点で上告人の収入を捉え、交付された金額を上告人の収入であると捉えているが、これは現金主義の発想であって、権利確定主義を定めた所得税法第三六条第一項の解釈適用を誤ったものであって違法であり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れないものである。
5 そして、毎年末日に確定した「差額」分を上告人の収入であると捉えるべきは、原判決が認定したとおり田口及び山下からの金員の交付が上告人に対するリベートであるとしても異ならないはずである。けだし、仮に百歩譲って、原判決が認定したとおり田口及び山下からの金員の交付が上告人に対するリベートであるとしても、上告人から田口山下に対する金員の交付は、リベートの一部返還であり、田口及び山下からの上告人に対するリベートの金額が確定したのは、毎年末日の「差額」分が確定した時点に他ならないからである。ちなみに、被上告人も第一審の昭和六二年一月二二日付被告準備書面(一)、一の2の(五)項において「右(三)により田口一徳らが原告に支払った金額と、右(四)により原告が田口一徳らに支払った金額の差額がリベート収入であり所得である」旨主張しており、「差額」こそが収入にあたることを認めていたものであり、常識的な主張をしてきたものである。
四 従って、上告人と田口及び山下の間の金銭の相互の交付が交換に該たるにせよ該らないにせよ、また、原判決のいうとおりリベートだとしても、上告人と田口及び山下の間の実質的な金員の移動は、差額分だけであるから、「差額」こそを収入とすべきは、健全な社会常識に照らして当然であり、原判決は破棄を免れないのである。
第二 所得税法第三七条第一項に規定する「必要経費」についての解釈適用の誤り
一 上告人は、「差額」分を「収入金額」として捉えるべきであり、田口・山下から受領した金額を「収入金額」として捉えた原判決は違法であって、破棄を免れないと確信するものであるが、仮に百歩譲って、受領した金額が収入となるとしても、上告人が田口・山下に交付した金額は必要経費に該当するものであるから、受領した金額から控除されるべきである。
右の点について原判決は、「田口らが控訴人に金員を交付するようになった前示の経緯を見ると、控訴人の金員支払いは、田口らの金員支払いとは無関係に一方的に行われたものであって控訴人の金員の受領と金員の交付との間には相互に関連性がなく、控訴人の交付した金員は、控訴人が金員の支払いを受ける必要上支出された金員とは認め難いから、雑所得の金額の計算に当たり、控訴人が田口らに支払った金額を必要経費として控除する必要はないというべきである。」と判示しているが、右判断は、「必要経費」の概念を見誤ったものであり、必要経費を控除すべきことを定めた所得税法第三七条第一項の解釈適用を誤った違法があり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
二 「経費」とは、収入を得るために必要とする財の犠牲であり、所得の算式における収入と経費は、常に原因と結果、若しくは目的と手段との関係で有機的に結ばれていることが必要であり、所得税法において単に経費といわず、特に「必要経費」と造語したのは、この意を強調したものであると解されている。なお、宣伝広告費のような販売費や一般管理費は、経費がどの収入に対応するものかについてその指摘が不可能なものであるので、所得税法第三七条第一項は、期間のわくを設け、その年に発生したものはその年の収入に対応するものとみなす旨規定している。
そして、必要経費として控除を認められるには、「通常かつ必要」な経費でなければならないわけではなく、単に「必要」な経費であればよいのである。原判決においても「控訴人の交付した金員は、控訴人が金員の支払いを受ける『必要上支出された金員』とは認め難いから」と判示しており、必要経費に該たるか否かの判断については、単に「必要な経費」か否かを判断すれば足りることを前提にしているものである。
三 上告人は、前記第一で述べたとおり田口及び山下との間で毎月、相互に金銭の交換をしていたものである。固定資産の交換が行われた場合の譲渡所得の計算方法について、所得税法第三三条第二項は、「当該所得に係る総収入金額から当該所得の基因となった資産の取得費及びその資産の譲渡に要した費用の額の合計額を控除し」と規定している。右規定を本件にも類推適用すると、上告人が田口及び山下から受領した金額が「当該所得に係る収入」であり、上告人が田口及び山下に交付した金額が「当該所得の基因となった資産の取得費」に該当することになる。従って、固定資産の交換との均衡からも上告人が田口及び山下に交付した金額を必要経費として、上告人が田口及び山下から受領した金額から控除すべきは当然である。
四 仮に百歩譲って、上告人と田口及び山下との間の金銭のやりとりが交換にあたらないとしても、上告人は、後述するとおり、双方の合意に基づいて始めたプール金システムを維持するためにその履行として金銭を交付してきたものであり、上告人がそのように金銭を交付しプール金システムを維持してきたのであるからこそ、上告人は田口及び山下から金銭を受領してきたものであるから、上告人が交付した金銭は、田口山下から金銭を受領するための「必要な支出」であって、必要経費に該当するものである。けだし、仮に上告人が田口及び山下に金員を交付することをやめたら、右プール金システムは破綻し、田口及び山下から金員の交付を受けられなくなったであろうことは容易に想像がつくことであり、このことを考えれば、田口山下から金員を受けるために、金員の支払いが必要であったことは容易に理解できるからである。
第三 弁論主義違反の主張
一 仮に百歩譲って、上告人が交付した金額が法律上必要経費に該当しないとしても、本件訴訟において、被上告人は、上告人が交付した金額が法律上必要経費に該当することについて先行自白をしていたものであり、この自白を撤回することについて上告人は同意していないものであるから、本件訴訟においては、自白の拘束力を定めた弁論主義の原則(通常第二原則と言われている。)上、上告人が交付した金額が法律上必要経費に該当しないと認定することは許されないものである。原判決は、民事訴訟法第二五七条に違反した判決であり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れないものである。
二 被上告人は、第一審における昭和六二年一月二二日付被告準備書面(一)の一、2、(五)項において「田口一徳らが原告に支払った金額と、原告が田口一徳らに支払った金額との差額が原告と田口一徳らとの間でなした合意に基づくリベートであると認めることができる。」旨主張し、上告人が支払った金額が必要経費にあたることを認めてきた(先行自白)。これに対し上告人は、当初上告人が田口及び山下に交付した金額については争っていたものの、これが必要経費に該当し、所得から控除されるべきことを前提にして答弁してきたものであるから、被上告人の「上告人が支払っていた金額が必要経費にあたる」旨の陳述には、自白の拘束力が生じていたものである。それにもかかわらず、被上告人は平成四年一月二九日付被告準備書面(七)、第二項において必要経費性を認めない旨主張を変更したものであるが、右は自白の撤回に当たるものであり、刑法上罰すべき他人の行為により自白するに至った場合であるか、上告人が同意しているか、自白が真実に反しかつ錯誤に基づいてなされたものであることを証明した場合以外は撤回は許されないものである。
三 この点被上告人は、原告の田口らに対する金額を交付した事実は、主要事実ではなく、間接事実に過ぎず、また、それが経費であるか否かは、法的評価なのであるから、経費性を否定する旨の主張は自白の撤回に該当しない旨主張するが、これは、租税訴訟における主要事実及び自白の概念について誤った主張である。
1 租税訴訟における主要事実は、課税所得そのものではなく、これを構成する収入とか必要経費、益金、損金等の事実であるとされている(裁判実務大系二〇巻「租税争訟法」三四六頁)。すなわち、所得の金額は計算の結果であって具体的事実ではないから、個々の所得の発生原因たる収入、必要経費、益金、損金等の具体的事実が証明責任の対象となる主要事実となるのである。そして、この主要事実の立証責任について、判例は「所得の存在及びその金額について決定庁が立証責任を負うことはいうまでもない」と判示しており(最判昭和三八年三月三日、訟月九巻五号六六八頁)、課税庁が負担するものであることは確立された判例である。所得を構成する収入とか必要経費、益金、損金等の事実が主要事実であり、所得の存在及びその金額について課税庁が立証責任を負うものである以上、必要経費についても課税庁が立証責任を負うのは、理論上当然である。但し、必要経費の立証責任の取扱いについては、諸説があり未だに定説を見ない状況にあるが、それは「必要経費」が納税者にとって有利な事項であり、課税庁にとって不利益な事項であるからである。
2 「自白」とは、自己に不利益な事実を認める陳述であり、ある事実が必要経費に該当することを認めることは、課税庁にとってその分所得が減額され課税される税額が減額するという点において不利益な事項であるから、一旦、必要経費に該当することを認めた以上は、一方的に撤回をすることは許されないものである。けだし、自白の撤回を制限する趣旨は、一旦自白が成立したことにより、相手方は立証すべき負担を免れる状態が生じ、手続きの安定を図るため及び相手方の訴訟上の利益状態を保護するためであるが、必要経費については、納税者にとって有利な事項であり課税庁にとって不利益な事項であるから、たとえ最終的には課税庁に立証責任があるとしても、納税者の主張を課税庁が認めるということにより、納税者にとって有利な訴訟状態が生じているものであるから、この利益を保護すべきは当然だからである。ちなみに、必要経費のうち家賃及び地代を認める旨の陳述が自白として取り扱われた事例として東京地裁昭和三七年三月二七日判決(税務訴訟資料三六巻三三一頁)、必要経費につき被告課税庁の主張を認めていながら、後に原告たる納税義務者が必要経費の増額を主張したことが、自白の撤回にあたるとした事例として大阪地裁昭和四五年一〇月二七日判決、訟務月報一七巻一号一〇九頁等があり、これらの事例から見ても、本件が自白の撤回に該当するものであることは明らかである。
四 そして、自白の撤回が許されるためには、刑法上罰すべき他人の行為により自白するに至った場合であるか、相手方が同意しているか、自白が真実に反し、かつ錯誤に基づいてなされたものであることを証明した場合であることが必要とされるものであるところ、本件においては、被上告人の自白には、刑法上罰すべき他人の行為は介在していないし、上告人は同意しておらず、また真実に反しかつ錯誤に基づいてなされたことも立証されていないのであるから、自白の撤回が許される場合ではない。
五 にもかかわらず、原判決は自白の撤回を認め、上告人が田口山下に交付した金員は必要経費に該らないと判断しているものであるから、原判決は、自白の撤回を制限した民事訴訟法上の原則である弁論主義の第二原則に違反した違法な判決であって、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れないのである。
第四 所得税法第一二条に規定する「実質取得者課税の原則」についての解釈適用の誤り
一 原判決は、前記第一で述べたとおり上告人が田口・山下に交付した金額を「収入金額」の中から控除せずに、上告人が田口・山下から受領した金額全額を「収入金額」と捉え、さらに、前記第二で述べたとおり上告人が田口・山下に交付した金銭を「必要経費」に該当しないと判断し、本件更正決定を適法であると判断をしたものであるが、右は、実質所得者課税の原則を定めた所得税法第一二条の解釈適用を誤った違法があり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れないものである。
二 所得税法第一二条は、「資産又は事業から生ずる利益の法律上帰属するとみられる者が単なる名義人であって、その収益を享受せずその者以外の者がその収益を享受する場合には、その収益は、これを享受する者に帰属するものとして、この法律を適用する。」と規定し、「実質所得者課税の原則」を定める。右規定は、資産又は事業から生ずる収益については、その法律上の帰属と経済上の帰属とが異なる場合には、経済上の帰属に着目して収益の決定をすることを規定したものであり、経済的実質主義の原則の発現形態であると解されている。従って、税法の解釈においては、その経済的な実質に着目して捉えなければならないのである。
三 本件において上告人に生じた収益は、経済的な実質に着目して捉えれば、毎月の田口及び山下から上告人が受領する金員と上告人が田口及び山下に交付する金員との差額分である。けだし、たとえ、田口及び山下から金員を受領したとしても、それの見返りに(「見返り」という表現は、被上告人の第一審における昭和六二年一月二二日付被告準備書面(一)の一の2の(四)の(1)の中で使われている表現であり、被上告人も、上告人の田口及び山下に対する金銭の交付と上告人の田口及び山下からの金銭の受領が表裏一体のものとして行われていたものであることを認めていたものである。)時間的に接着して、上告人から田口及び山下に金員を交付している以上、当事者の経済的な評価としては、その差額分をもって自分が得た収入であると考えるのが通常であるからである。田口及び山下にしても、一旦上告人に金員を交付しても、それと時間的に接着して上告人から反対に金員を受領する以上は、交付した金員全部が上告人の収益となるのではなく、その差額が収益となると考えていたことは、容易に推測のつくところである。
四 そして、上告人に実質的な収益が生じていなかったことは、上告人は田口及び山下から受領した金員によって何ら資産を形成していないことを見ても明らかである。もし仮に原判決が認定したとおりだとすれば、昭和五四年から昭和五六年までの間だけでも、合計金一億二八八二万円余りを上告人が受領していることになり、そのような多額な収入があれば、何らかの資産を形成するのが通常であるはずであり、そうであればこそ、資産が形成されている事実が納税者に所得が生じていることを裏付ける重要な間接事実として主張及び立証がなされるのである。しかるに本件において、上告人が資産を形成した事実は何ら主張立証されておらず、これはとりもなおさず上告人が資産を形成していないからに他ならない。これは、実質的にも上告人に原判決が認定したような収入がなかったからであり、上告人に生じた経済的な収益は「差額」分であるということを雄弁に物語っているものである。
五 従って、経済的な実質に着目した場合、上告人の得た所得は「差額」分であると捉えるべきであって、上告人が田口及び山下から受領した金額全額が上告人の所得にあたると判断した原判決は、経済的実質主義の発現形態である所得税法第一二条の趣旨に反するものであって、違法であり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄を免れないものである。
第五 事実認定についての経験則違反、自由心証主義違反、理由齟齬、理由不備の主張
以上述べた通り原判決は、所得税法第三六条第一項、同法第三七条第一項、同法第一二条の解釈適用を誤り、上告人が田口及び山下から受領した金額全額を所得であると判断したものであるが、その判断を誤ったのは、本件の背景事情である「プール金システム」及び上告人と田口及び山下間で相互に金員の授受が継続されてきた理由についての認定を誤ったためであるからに他ならない。原判決のなした、本件の背景事情である「プール金システム」及び上告人と田口及び山下間で相互に金員の授受が継続されてきた理由についての認定は経験則に反すると共に、自由心証主義に違反して証拠の採否を誤り、さらに事実の認定に対する理由齟齬及び理由不備の違法があるものであり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。故に原判決は破棄を免れないものである。
一 本件における経験則について
1 事実認定は常に論理則及び経験則に従ってなされなければならず、これは自由心証主義のもとでも同じである。そして、経験則とは、自然法則、日常生活上の法則等およそ経験から帰納される知識・法則をいうとされるが、経験則には専門的・学問的な知識・法則とか職業上の技術から日常的常識まで含まれ、その内容は多岐多様であり千差万別のものである。それ故、経験則のうちで、通常人の知っているようなものについては証明の必要性はないが、平均的な裁判官に知っていることを期待し難いような高度に専門的な知識については、必ず厳格証明が必要であるとされるのである(最判昭和三六年四月二八日、民集一五巻四号一一一五頁)。
2 本件において注意されなければならないことは、本件が訪問販売セールスの世界の出来事であり、その世界には「クリエーター」という一般の人間よりも我の強い人間の集まりであること、共通の目的を遂行するためには誰とでも手を組み、目的を果たせば今度は別の人間と結託して、昨日までの仲間の追い落としを図ることが日常的であること、「フル・コミッション(完全歩合給)制」であり個人の成績に関係なく給料が支払われる一般企業とは全く異なる世界であること、訪問販売会社は大体三年か四年で倒産するところが多いこと、「クリエーター」を動かすためには、会社の経営者が身銭を切っていることが通常であること、「クリエーター」に対して多額の前渡金、貸金、仮払金等の交付が日常的に行われており、かつそれがほとんど踏み倒されていること等の特殊な世界であるということである(甲第一二二号証「錆びついた国税局」八二頁以下、上告人第三回、一七五項乃至一七九項)。従って、そこにおける経験則についても、専門的で特殊な経験則であるということができる。
3 そして本件において上告人は特殊な経験則が適用されなければならないものであるから、訪問販売セールスの世界を詳しく説明し、本件にあてはまる経験則を立証してきたものである。しかるに、原判決は、裁判官が日常生活から得られた日常的な経験則を適用し、事実を認定したものであり、経験則の適用を誤った違法な事実認定が至るところで行われているものである(個々の事実認定の違法については、後で詳述する。)。このことは、原判決中二の4項で判示されている「そもそも、田口ら及び控訴人の出した金員の額が、控訴人主張のようにほとんど差がないとすれば、前示のような複雑な計算方法によったり、かつ年数を掛けたりして相互に金銭を支出することの意味を見いだすことは困難というべきである(控訴人本人の供述するような相互の団結ということのみでは、田口らと控訴人との立場の違い、収入の性質の違いなどを考えれば、説明をし難いところであると考える。)。」という表現に端的に表されているものである。すなわち、本件においては、裁判官にとって説明のし難いこと(田口らと控訴人との間で相互に金銭の授受(交換)がなされていたこと、相互に授受(交換)される金銭の金額にはほとんど差がないものであったこと、交付する金銭の額は一定の計算方法によっていたこと、このようなことが長期間継続していたこと)がなされていたものであって、それは訪問販売のセールスの世界が一般社会とは異なる特別な世界であるからに他ならないのである。
4 故に、本件にあてはまる経験則は訪問販売セールスの世界を支配する特別な経験則であって、原判決は本件に適用されるべき経験則を見誤り、事実を誤認した違法があり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
二 「プール金システム」について
1 上告人は、原審において、田口及び山下から昭和五四年から五六年にかけて五~六〇万円程度の金銭しか交付を受けていなかったと主張してきた(一九九二年九月三〇日付控訴人準備書面(二))が、それは前述のとおり、田口、山下、山田がその収入の平準化のために始めたプール金システム(この点については原判決も認めるところである。)の延長として交付を受けてきたものである。なぜならプール金システムに上告人が入ってからどのような方式で分配していたかは、乙三二号証の徳永の供述録取書問一五にあるように、田口、山下、山田、徳永はそれぞれの収入から税金などを引いた残りの手取り額から分配していたのであるから、このやり方はまさに各人の収入を平準化するものといえるからである。徳永供述は、全体としては信用に値しない(この点は後に論じる)が、この部分については認めているところであるし、もちろん上告人も認めているし、田口及び山下も供述録取書の中で認めている(乙二号証、乙三号証)ところである。ところで、このようにプール金システムでは、実質的な収入を平準化するために田口・山下らの純手取り額を基礎に計算してきたのに、何故突如として経費の部分まで基礎とする計算を始めたのかを合理的に説明する証拠は皆無である。経費まで基礎としてしまっては、実質的な収入は平準化されず、だからこそ、それまでは経費の部分までは基礎としていなかったのである。僅かに、田口証言の中で、経費も半分にすべきじゃないかと上告人に言われたとする部分がある(田口証言が信用に値しないことは後に詳論する)が、それとても、上告人に言われただけで、そのような通常考えられない計算方法をとるということは、前提として上告人が、人事権を恣意的に行使し得る現実的状況がなければならないが、その様な状況を示す証拠は皆無であり、逆に人事権の恣意的行使はとても出来る状況ではなかったということを示す証拠は豊富であり(甲八二号証、中川証人調書、市野証人調書)、また経験則(訪問販売業界の経験則)からもそのように考えるべきである。原判決は「原告は、田口、山下等に対する人事権等の権限を行使する立場にあった」として単に人事権があった点のみを指摘しているが、どのような人事権があったのか、又恣意的な人事権行使を為し得るかの判断は全くしていない。人事権を恣意的に行使し得る状況のなかったことを裏付ける証拠としては、国際教育開発の組織が、大企業を株主とした株式会社であるという点(甲九、一〇、二〇、三一乃至三七号証、)で、恣意的な人事権行使が、組織として制限されていること(重要な決定事項については稟議を要するし、人事権行使で失敗すれば当然責任をとらされて専務取締役の地位から退かなくてはならない)があげられるが、さらに、(そしてこれが一番重要なのであるが、)委託販売契約を前提とした訪問販売の世界では、人事の主導権は契約の相手方すなわち実際に販売を行うクリエーター(販売員)を中心とした販売事業部の側にあり、上告人のような会社側の人間による人事権の恣意的な行使は完全に制限されるものであるということが、訪問販売業界における経験則上の判断であるという点である。なぜなら、会社が利益を上げ会社の人間が給料をもらうためには何といっても、商品の売上をのばすことが重要なのであり、売上をのばすには、顧客に商品を買ってもらわなくてはならない。顧客に商品を買ってもらうには、販売員が知恵を使って売りこまなくてはならない。会社にとっては販売員の存在はなくてはならないものであり、会社の命運は販売員が握っているといっても過言ではないのである。そして、販売員を取りまとめ、販売員を指導するのは、販売事業部の上司なのである。まさに、田口、山下は販売事業部の上司として販売員を取りまとめる立場にあったのである。とすると、そのような販売員や販売員を取りまとめる立場にある者の反感を買うような人事権の行使をすれば、たちまち造反され、販売員は根こそぎ他社へ移籍されてしまう。移籍されたら、会社は売上を上げられず、生き延びて行けなくなるのである。このことは、上告人が体験したYCJの組織改革の失敗など(甲一二二号証「錆ついた国税局」七二頁以下、甲一一六号証一3、二3)を見れば明かであろう。一方的な人事権行使や組織改革など不可能なのである。原判決では、被上告人による上告人には強大な権限があったとの主張に引きずられ、上告人に権限があったかどうかの点に視点を当てたが故に、判断を誤ったものと思われるが、重要なことは権限の有無ではなく、権限を行使できる状況にあったかどうか、すなわち、田口及び山下と、上告人の力関係はどうであったかの点なのである。昭和四八年の四月に就任したばかりの上告人に、クリエーターからの造反を受けずに彼らを強大な力でねじ伏せ抑え込むことが出来たとは到底いえないのである。上司の権限行使が絶対的な命令として通用する世界(軍隊、行政庁)とは根本的に世界が異なるのであり、売上を上げて、会社が生き延びていくことで、会社側の人間の生活が成り立っていく世界であるという根本的な視点を見落としてはならず、むしろ、経験則上は、会社側の人間にすぎない上告人よりも販売員をてなずけている田口・山下・山田らの方が力を持っていたと見るべきなのである。このように、上告人には恣意的に行使できる権力はないと考えるが経験則に合致するのみならず、実力主義的に販売員の昇降格が決定されるシステムになっていることは証拠上も明らかなのである(甲八二号証・中川証人調書・市野証人調書)。(これらの点については被上告人からはなんら具体的な反論・反証は為されていない。上告人の側では、具体的詳細な陳述書や「錆ついた国税局」中の著述、甲八二号証の大沼証言等で明確に立証を尽くしている。)
ではなぜ、上告人がそのようなプール金システムに入ったのか。早くいえば入らされたと行って良い。なぜなら、入らなければやって行けない世界だったからである。その理由は、今述べた点(田口・山下・山田・徳永の方が力があったという点)が挙げられる。考えてみても、当時国際教育の方へ来たばかりの上告人よりも、口で商売をしてのし上がってきて、口で商売をする連中をてなずけてきた彼らの方が力があると言うことは誰の目からみても明かである。ではなぜ入らされたのか。それは、端的にいうと、田口・山下・山田は上告人を利用したかったからである。販売事業部の側の上司の地位にあれば、指導料(オーバーライト)や後の管理奨励給という形で多くの収入を得ることができるというメリットがある。すなわち、上司として、販売員をてなずけることが即自己の収入につながるのである。とすれば、上告人と一蓮托生の強みを得れば、部下に対して一目置かれるというかある程度の信頼を置かれるというか要するに部下をてなずけることができ、自己の地位が確保されるのである。ではどうしてそのような余り常識では考えられないようなプール金システムが部下をてなずけるために必要だったのか。それは、コミッションセールスの世界が一般の人たちよりも我の強い人間の集まりで、彼らは取り合えず共通の目的があれば、その遂行のためには誰とでも手を組むが、目的を果たせば、今度は別の人間と結託して、昨日までの仲間の追い落としを図るなどと言うことは全く平気でやるし(甲一二二号証八二頁以下)、「互助会で団結を誓っておきながら裏に回ればどこ吹く風」と言った具合に仲間の追い落としを図るような人間(同八五頁)の集団なのである。そのような集団の中にいる以上、共通の金のつながりを持たなければ、相互に疑心暗鬼を生じ、内部で潰し合いを必然的に行うことになり、いつ自分も潰されるか分からない状況になるのである(前述の販売員の昇降格システムからも分かるように、会社側と違い、販売員側の組織は、要するに実力主義の支配する世界なのである)。勿論このような人間である以上、共通の金のつながりを持ったとしても、隙があればいつでも他者の追い落としを図るのである。会社とのつながりを強固にして、自己の地位の安定を図ろうとすれば、当然販売事業部に対する会社の窓口となっていた上告人とのつながりを求めようとするのは当然である。その証拠に上告人が正式にプール金システムにはいる以前から、上告人は給料を給料袋ごと山下らに渡していたが、山下は九州の支店の連中に「俺はここまで専務の信頼を得てるんだ。」(同八四頁)等と言って給料袋を見せて回ったのである。結局、田口・山下・山田は上告人をプール金システムに入れることで、「専務と俺は信頼し合った仲だ」(同八三頁)といって、部下の取りまとめに利用したのである。ではなぜ上告人はそのような常識では考えにくいプール金システムにはいることを了承したのか。一言で言うと会社を立ち直らせるためである。前述したとおり、商品を買ってくれる顧客あっての会社であり、売上を上げてくれる販売員あっての会社である。そして、販売員を取りまとめていたのは田口、山下等の事業部の上司達であった。他には人材はいないし、赤字でいつ潰れてもおかしくない会社(甲七号証、甲一一六号証及び添付のグラフ)に入ってくれる能力のある新しい人材も簡単には望めない状況にあった。BIEにおいてもYCJのような大量の販売員の移籍をされては会社側の管理職である上告人としても困る状況にあった。そこで、上告人としては、田口、山下に頼るしか手がなかったのである。会社を立ち直らせるといっても簡単ではない。売上を上げるにはどうしても販売員やその上司達にやる気を出させる工夫が必要なのである。しかし、ごり押しの改革では、造反されてYCJような結果となるのは目に見えているのである。改革は販売員の納得を得なければ出来ないのである。そのために販売員の同意を得た上で考えられたのがピーアンドエル制(独立採算制)である。すなわち、販売員の固定給を廃止し、販売事業にかかる一切の経費について事業部の本部・支店ともに独立採算で行う代わりに、利益がでればその利益は全て出した当事者に収入として支払われるというものであった。損が出た場合はピラミッドの上へ上へと吸収され、当事者は更迭されるが、その欠損についての責任は更迭と同時に免れるようになっているシステムである(甲一二二号証七七頁)。ピーアンドエル制が正式に採用されたのは昭和四八年一〇月であるが(甲一六号証、また田口も四八年であったことは証言の中で認めている。)、この頃までは、会社は赤字であり、実質的な売上もなかった頃であり、にもかかわらず、固定給がなくなるというリスクと売上を上げなければならないというプレッシャーが販売員にあったのである。にもかかわらず、販売員の同意を得て、ピーアンドエル制の導入が実現したのは、これを導入することが田口・山下・山田らにとっても多くの指導料を手に出来るといううま味のある制度であったからであるとともに、上告人がプール金システムに入ることでピーアンドエルのリスクの担保を確保でき、さらに、一蓮托生の保証により部下をてなずけ易くなるので自己の地位が保全され、より多くの利益が得られることになるというメリットがあり、容易に田口山下、山田らの協力が得られることとなったからである(そのように考えなければ、力のない上告人の一存だけでことが決まったとは考えられず、経験則に反する。)。もとより、部下を取りまとめてくれる頼りは、田口、山下、山田らしかなく、田口や山田の懇願によりプール金システムに入ることを上告人が了承する事によって、田口、山下の疑心暗鬼もなくなり、相互の信頼関係が生まれるから、ピーアンドエル制導入の協力を得られたのである。そういう関係がなければ、上告人が給料を給料袋ごと渡すはずはないのである。確かに常識的には給料を給料袋ごと渡すはずないのではないかと疑問も生じようが、会社がなくなっては上告人自体も収入はなくなるのであり、会社が存続しさえすれば会社から給料やボーナスをもらえるのであり(利益が上がれば、給料も上がることは、乙四三号証の一を見れば明かである。)、ましてや会社の責任者なのであるから、そのようなことをする事は現実には何の不思議もないことなのである。(以上の訪問販売の世界の実態・実状については被上告人の方で殆ど反論・反証が為されていない)
2 以上述べてきた事実は、裏付けとなる客観的証拠を経験則に照らし合わせたとき、確信を得られる程度に認定が出来るにもかかわらず、これを認定せず以下述べるような誤った認定(事実誤認)をしている点で、経験則違反及び自由心証の範囲を逸脱した違法がある。
すなわち、原判決も認めるように、そもそもプール金システムは、国際教育開発から各人の受ける報酬額にアンバランスが生ずるという事態に対処するため、各人が会社から受け取る報酬を拠出しあってこれを再配分するというシステムすなわち報酬の平準化のためのシステムであり、田口、山下、山田によって昭和四八年の始め頃からスタートし、ついで徳永が加わったものであるが、報酬額の多い者にとっては収入が減るという制度であるにも拘わらず何のために行うかといえば、前述したように、共通の金を有することで一蓮托生の保証を得て、疑心暗鬼をなくすという意味と、売上の多寡により変動する収入を一定にして各人の収入減というリスクを軽減するという意味がそもそもそこに含まれているのである。そこに上告人が入るということは、それ自体、田口、山下らにとってメリットがあるのである。にもかかわらずそれを上納金(リベート)だとするのは明らかに経験則違反である。なぜなら、リベートであれば、何もわざわざ上告人が給料を拠出して再配分を受ける必要はないのであり、直接リベートを受け取ればよいはずでそのようなやり方が一般的だからである。原判決は田口・山下の証言をもとに、田口・山下は昭和四八年七月頃の上告人の手による地域割りの変更という嫌がらせをやめてもらうため、上納金を支払う「意識」で上告人をプール金システムに入れたということ認定しているが、プール金システムである以上、上納金を支払うという意識を持つこと自体が経験則上ありえないのである。にもかかわらず、上納金という意識を持つのがもっともらしくなるように、原判決は、田口・山下の証言などをもとに、<1>「(上告人は)国際教育開発の専務の職にあり、右田口・山下等に対する人事権等の権限を行使する立場にあったにもかかわらず、収入の面では、会社から一定額の役員報酬を受けるのみでであったため、歩合制による手数料等の報酬を得ている右田口、山下等に比べると格段に収入額が少ないという状況にあり、かねてからこの点に関する不満を右田口らにたいしても漏らすことがあった。」<2>「昭和四八年七月頃、(上告人)の手によって、右田口、山下等の手数料等の報酬額がそれまでより減少するような形に、会社の訪問販売に関する地域割りが変更されたりすることがあり、また、田口、山下等が右問題につき支店長の対策会議を開いたところ、(上告人)から本部長の首などすぐ飛ばせるなどと言われるなどしたことから、右田口、山下等の方では、これを右のように(上告人)の収入が同人等の収入に比して少ないこと等を不満とする同人らに対する嫌がらせであると受け取った。」<3>「そこで同人らは、前記のような報酬の再配分のシステムに(上告人)をも加えることによって、右のような嫌がらせをやめてもらうようにしようと考え、昭和四九年六月ころから、各人が受理する手数料等の報酬の一部を(上告人)に対しても支払うようになった。」<4>「なお、このようなことが行われるようになってまもなく、前記の訪問販売に関する地域割りは、元の形に戻されるに至っている。」と認定している。しかし、これらの認定はいずれも経験則に違反すると共に自由心証主義に違反した違法なものである。まず<1>についてであるが、昭和四八年のピーアンドエル制が正式に導入される以前の段階では、売上も伸びず、田口、山下等の報酬額は、不安定で、大した額ではなかった(乙四四号証の一)のに対し、原告の方は、国際教育開発以外にTBSブリタニカからも給料を得ていた。しかも、田口、山下の方は経費等を含む額であり、実際には前渡金との精算をしなければならないのであるから、実際に懐にはいる金額は殆どなかったと言えるのである。そのような状況に鑑みれば、上告人が自己の報酬の額が少ないとの不満をもらすとは到底言えない。上告人の意識としては、むしろ、お金に困っている田口・山下等を助け、やる気を出させて何とか売上を上げてもらおうと思っていたのであり、その結果、売上が上がったのならば、歩合制で働いている以上、報酬が高額になることは当然のことと考えていたのである。次に<2>であるが、平成五年四月七日付け控訴人準備書面(三)及び、甲一一六号証二4、5記載にあるように、頻発していたテリトリー侵害と支部・支店どうしでの販売員の引き抜きによる紛争の調整役として、上告人が動いていただけであって、嫌がらせをしたわけではない(甲一〇一、一〇二の一、一〇二の二号証)。昭和四八年に着任したばかりの上告人に、嫌がらせ、すなわち販売員の造反を受けずに田口・山下の報酬額が減るような形で地域割りをするというをするノウハウは、もとよりなかったのである。おまけに、このようなメモ書き(甲一〇一、一〇二の一、一〇二の二号証)でしか調整が出来なかったことを見れば、いかに上告人の力が弱かったかが分かるのである。力が強かったならば、田口・山下をこの時点で首にすることもできたであろうし、正式な形で念書を入れさせることもできたであろう。また、なぜ、田口・山下・山田らに対してだけ嫌がらせをするのかの合理的理由もない。田口らに対する嫌がらせが可能ならば、他の販売員にも嫌がらせは可能であったはずであるが、他の販売員に対する嫌がらせの事実、他の販売員からリベートを受け取った事実はどこにもない。さらに、有馬温泉で田口、山下、山田が支店長対策会議を開いたときに上告人から首など飛ばせると言われたなどと証言しているが、誰が電話に出たのか不明であり、他に聞いた者も一人としていなく、また、その言辞が訪問販売の世界で他人を陥れるために使われる定型的言い回しであることからみて(甲五九号証)全く信用できない。さらに、田口・山下は上告人の嫌がらせであると受け取ったとする部分については、上告人によるテリトリー争い等の調整の結果、九州部隊の販売の成功が我慢できなかったこととすり替えて証言しているものと考えられる。テリトリー争いの調整が昭和四八年の七月に行われ(甲一〇一号証等)有馬温泉での秘密会議が昭和四九年二月に行われている(田口証人調書主尋問四九)ことからみても、何のノウハウもない上告人が、昭和四九年二月の田口・山下の収入減(乙二号証、三号証添付の別表参照)を見越して嫌がらせをしたとは考えられないのである。<3>については原判決が明らかに不合理であることを露呈している。なぜなら、リベートを支払うのであれば、その時に支払えばよいのであり、それを昭和四九年の六月になってから支払うというのはあまりにも時間的な差がありすぎる。つまり、この四八年当時は明らかにリベートを支払う必要があるような状況になかったのである。原判決が昭和四九年六月からリベートが支払われたとしているのは、田口、山下の証言をもとにしているが、それは、昭和四八年からすると、商品の売上が上がり田口・山下等の収入が飛躍的に伸びた時期と一致せず、逆に上告人の主張事実が認められてしまうからそれを避けるために無理矢理このように認定したとしか考えられないのである(田口・山下の証言がそもそも信用に値せず、これを元に事実認定することに無理がある点については後述する。)。以上のように田口・山下の証言をもとにした原判決は矛盾だらけなのである。<4>については、これも田口証言のみをもとに認定しているが、証拠もなく認定しているとしか言いようがない。なぜなら、そもそも「元の形」というものが何かを明確に認定していないからである。この点に関しては、そもそも、前述のとおり、上告人が恣意的に地域割りをできる状況になかった。もともと利益があれば手を組みそうでなければ追い落としを図るような人間の集まりなのであるから、利益のあるところの傘下に自主的に入るということは当然の出来事であり、九州支社は自主的に西日本事業部の傘下に入ったにすぎないのである(甲一二三号証三<3>)。
以上、<1>乃至<4>が経験則違反及び自由心証の範囲を逸脱した違法な事実誤認であるとするならば、それを前提とした事実認定、すなわち、<5>「その後、昭和五〇年一月ころ右山田及びそのころ徳永が国際教育開発を退社してしまったため、田口及び山下はその手数料等の報酬の一部を個別に(上告人)に支払うようになり、それぞれ別個にその手数料等の報酬の一部が毎月原告に支払われていた。」<6>「他方、このような右田口、山下からの金員の支払に対応して、昭和五二年ころから、(上告人)からも自己が会社から受け取る報酬の一部が右田口らに支払われるようになり、本件各年度当時においては、(上告人)の報酬の手取り額の三分の一ずつが毎月右田口及び山下に対して支払われているほか、昭和五七年一月ころには、(上告人)のティービーエス・ブリタニカの退職金から田口らに八一〇万づつが支払われた。」<7>「しかし、このような(上告人)からの支払は、右田口からの要求や同人らとの話し合いによって行われるようになったものではなく、(上告人)の方から自発的に行うようになったものであり、右田口らは、(上告人)は同人らから一方的に前記のような金員の支払を受けることに後ろめたさを感じてこのような自らの支払を行うようになったものと受け取っていた。」<8>「右に認定した事実関係からすれば、本件各年度において田口及び山下の両名が(上告人)に対して交付していた右の金員は、国際教育開発の会社内における(上告人)と右両名との前記のような地位を前提として、(上告人)からの社内での書籍の販売活動等の面で便宜を図ってもらうために継続的に供与されたものと考えられ(る)」<9>「(上告人に交付された金員は)(上告人)の職務の性質に基本的な変更のない限り、その職務上の行為と性質上対価的関連を有するものである」との判断も当然経験則違反及び自由心証の範囲を逸脱した違法な事実誤認を含んでいるといえる。この点については後に詳論するが、まず、<5><6>については、利益を平準化するためのプール金システムの延長として行うのであれば、山田、徳永がやめても田口・山下・上告人の三者でプール金システムを続けるのが経験則に合致するのであり、そのまま続けずに、田口と上告人、山下と上告人という二本立ての変則的なシステムに変わったと言うのであれば、その合理的な理由を見いださなければならないにもかかわらず、原判決ではその理由を明らかにしないまま、二本立てになったとしている。ただ、原判決は、このように、二本立てであっても、プール金システムからの延長として為されていること自体は認めている。にもかかわらず、原判決は、利益を平準化するための手続きを認定せず、上告人が支払ったのは、昭和五二年からであるとしている。(この点乙二、三号証の田口・山下の供述録取書に、なんら信用性がないことは後に田口・山下供述に信用性がないこととして詳論する。)しかし、考えてみれば明かであるが、プール金システムの延長であれば、経験則上は、収入を平準化するために、金銭を相互に交付するとか、収入の多い方から少ない方へ差額のみを渡すというようにするはずであるのだから、この点に関する原審の判断は明らかに不合理である。さらに<7>についても同様に一方的に田口・山下が金銭を交付したと言うのは明らかに不合理である。また、山下証言をもとに、上告人が後ろめたさを感じて山下に金銭の支払をするようになったと山下は感じているとしている点も明らかに経験則違反である。(これらの点については、次項で詳細に論じることとする。)さらにつけ加えていえば、山下が、そのように感じたからどうだというのかの理由がなく、この点理由に不備がある。<8>については、上告人に便宜を図って欲しくてリベートを渡すのであれば、交付する時点でその趣旨を伝えるはずであるにもかかわらず、昭和四八年の時点以降においても(被上告人主張の昭和四九年六月の時点としても同じである。)、また、昭和五〇年の時点以降においても、なんら便宜を図って欲しい趣旨は伝えていないのである。原判決が上告人に供与された金員がリベートであるとするならば、黙示の合意の具体的状況が主張立証されなければならないが、それはされていない。リベートと認定するもととなった証拠は田口・山下証言等であろうが、田口・山下等が通謀して貸金訴訟を有利にしようとして作り上げたストーリーにすぎないので信用性はなく(後に詳論する)、いずれにせよ合理的認定とは言えないのである。<9>については、上告人が、田口・山下に対して、具体的にどのような便宜的取扱いをしたのかを認定していないので理由齟齬の違法があると言える。
三 上告人と田口及び山下間で相互に金員の授受が継続されてきた理由について
1 原判決は、上告人から田口・山下への支払いが行われるに至った経緯について、<1>「他方、このような右田口、山下らからの金員の支払いに対応して、昭和五二年頃から、原告からも自己が会社から受け取る報酬の一部が右田口らに支払われるようになり、本件各年度当時においては、原告の報酬の手取り額の三分の一ずつが毎月右田口及び山下に支払われているほか、昭和五七年一月ころには控訴人のティービーエス・ブリタニカの退職金から田口らに八一〇万円ずつが支払われた。」<2>「しかし、このような原告からの支払いは、右田口からの要求や同人らとの話合いによって行われるようになったものではなく、原告の方から自発的に行うようになったものであり、右田口らは、原告は同人らから一方的に前記のような金の支払いを受けることに後ろめたさを感じてこのような自らの支払いを行うようになったものと受け取っていた。」旨認定し、<3>「原告からの右両名に対する金員の支払いは、原告の方から自発的に行われたものであり」「無関係に一方的に行われたものであって控訴人の金員の受領と金員の交付との間には相互に関連性がなく」「田口らにとりその趣旨も明らかにされておらず、報酬を出し合ったとは言い難い。」と判示している。しかしながら、これは原判決が、証拠の評価を誤り事実を誤認したものであって、経験則に反する違法な事実認定であり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
2 まず、上告人から田口及び山下に金員の交付が行われるようになった時期について原判決は昭和五二年頃からと認定しているが、上告人から田口及び山下に対する金員の交付が行われていたのは、上告人がプール金システムに加わった昭和四八年暮頃からであって、昭和五二年からではない。このことは、上告人が当初から首尾一貫して主張していたことであり、徳永も田口らが上告人に金員を交付するようになった経緯について「いくらずつ出して、どのように分けたのですか」という問いに対し、「田口さん、山下さん、山田さんと私の四人のそれぞれの収入から税金などを差引いた残りの手取り額を出し、それに専務も給料の手取り額の全額を出し」と答え、上告人が当初から田口らに金員を交付していた事実を認めているのである(乙第三二号証、問一五)。また、田口にしても徳永を通じて上告人がティービーエスブリタニカからもらう給与等を拠出していたかどうか尋ねてきたことがあり、上告人が国際教育開発から貰う給与等を拠出していたことは当初から認識していたのである(上告人第一回二五八項乃至二六三項)。他方、上告人が田口らに金員を交付し始めたのが昭和五二年頃からであるということについて、田口及び山下は一言も証言しておらず、反対尋問を経ていない聴取書(乙第二号証、乙第三号証)の中で一言触れられているだけである。そして、この聴取書の内容については、税務署長によって作出された可能性が高く、全く信用できないものである。従って、上告人が田口らに金員を交付し始めたのが昭和五二年頃からであるとする証拠はなく、原判決は自由心証主義を逸脱し事実を誤認した違法がある。
3 次に「上告人が田口山下に金銭を交付するについて趣旨を説明していたか否か」についてであるが、本件は、田口らが当初行っていたプール金システムに上告人にも加わって欲しい旨懇請してきたものであり、山田及び徳永が脱退した後の変則的な互助システムについても田口及び山下が互助システムを続けたいと懇請してきたものであるから(上告人第一回二七〇項以下、甲第一二二号証八六頁)、田口らも上告人が金銭を交付する趣旨を十分理解していたはずである。このことは、田口も「村上さんを仲間に入れようということになった。」(田口第一回五三項)「私が二本立の形で継続することを提案した」(田口第一回一三二項)旨供述していること、それ故、被上告人も第一審における昭和六二年一月二二日付被告準備書面(一)一の2の(四)項の中で、「上告人が『見返りに』一定額の金額を支払うようになった」旨の表現を用い、山下は、大蔵事務官高木に対する事情聴取の中で「(上告人は山下に対し)村上氏の退職金からといって『俺の分だ』と言い八一〇万円(退職金の三分の一)もらいました」旨供述し(乙第二号証、問一三に対する答え)、田口は、大蔵事務官宮崎に対する事情聴取の中で「村上氏からこれが『俺の分だ』ということで一四~一五万円位(渡された)」旨供述していることからも明らかである。また、何よりも趣旨不明の金を田口及び山下が二人とも長期間に渡って上告人から渡されるまま受領していることなど、経験則上ありえないことであって、このことを考えても上告人が田口らに交付する金銭の趣旨は互助システムに基づくものであり、そのことを田口らは十分理解していたことがわかるのである。
4 第三に、原判決が「ほとんど差がない金銭を相互に拠出することの意味を見い出すことは困難であると」判示している点についてであるが、プール金システムが始まった当初である昭和四八年暮頃においては、田口らは会社から多額の借金をし、宿泊費を節約するために上告人の家に泊り込むなどしていたものであって、田口らの得る収入は少なかったのである。それ故、田口らにとっては、上告人の得る安定収入である給与等の分配金を得ることについては、金額の点においても、安定性の点においても利益があったのであり、その意味で金銭を相互にやりとるする意味はあったのである。その後、上告人が提唱した「P&L制」の導入により、田口らの収入が増えたために、金額はほぼ同額になったのである。そして、金額はほぼ同額になっても、田口らにとっては、常に安定収入を確保できるという利益があり、上告人にとっても、田口らと信頼関係を継続することにより会社の売上を増大させることができるという利益があったものである。それ故に変則的なプール金システムが継続されてきたのであって、これらの事情を考えれば、上告人と田口及び山下が相互に金銭を拠出することを十分に首肯できるのである。
5 これらの事情を考えれば、「上告人の金員の支払いは、田口らの金員の支払いとは無関係に一方的に行われたもの」ではなく、「控訴人の金員の受領と金員の交付との間には相互に関連性が」あったことが裏付けられるものである。仮に、原判決が認定したとおり、「上告人の金員の支払いは、田口らの金員の支払いとは無関係に一方的に行われたものであって控訴人の金員の受領と金員の交付との間には相互に関連性がない」とすれば、何故、上告人が一方的に田口及び山下に金員を支払っていたのか説明がつかないはずである。上告人も田口も山下も同じ会社で同じ目的の仕事に従事しており、社内で毎月直接やりとりする現金に関連性がないとはとうてい経験則上考えられないことである。この点、田口らは上告人が金員を交付した理由について「右田口らは原告が後ろめたさを感じて支払うようになったと受け取っていた。」と強弁するが、何故、上告人が後ろめたさを感じなければならなかったのかについて何ら説得的な理由を述べられないでいる。田口らは、他方で上告人が絶大な権限をもっていた旨供述するが、絶大な権限を持っていれば、後ろめたさなど感じることはありえないのであり、田口らの供述はこの点において、矛盾し破綻しているものである。上告人が後ろめたさから金員を交付したものではないことは、上告人は給与等の手取額の三分の一ずつ及び退職金の三分の一(金八一〇万ずつ)を交付しているのであるが、後ろめたさを感じただけであるならば、そのような多額な金額を支払う必要はないこと、給与等の手取額の三分の一という一定の割合により計算された金額を交付し続ける必要はないこと等を考えてみればわかるはずである。それ故に、原判決は、上告人が「後ろめたさから金員を交付した」という認定をあえて避け、「田口らは上告人が後ろめたさを感じて支払っていたと感じていた。」という間接的な認定をしているのであり、それは原判決が後ろめたさからそのような一定の割合によって計算された多額な金額を長期間交付し続けることが経験則上ありえないと考えたからに他ならないからである。そうであるにもかかわらず、原判決は「上告人から一方的になされたものである」旨認定しているが、これは明らかに経験則に反するものであり、原判決は経験則に反して事実を誤認した違法がある。
従って、上告人の金員の支払いは、田口らの金員の支払いと相互に関連して表裏一体なものとして行われてきたものであり、このことからも田口らから上告人が受領した金額全額を所得と認定した原判決は事実誤認に基づく違法な判決であるということができるのであり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
四 プール金システムと昭和五四年から五六年にかけて、上告人と田口・山下間で相互に金銭の交付を継続してきた理由についての証拠の検討(原判決には採証法則違反及び自由心証主義の範囲の逸脱があり、民事訴訟法一八五条に違反するとの主張)
1 原判決の事実認定において採用された証拠の信用性
(一) 原判決は、田口・山下の証言は、上告人に対する金員を交付するに至った経緯、金員供与の趣旨、金員の計算方法などについて、その内容は具体的詳細である上、ほぼ一貫しており、乙一、三二号証ともその内容はほぼ符合しており、金員の支出についても乙四、五、八、一三号証同七号証の一乃至二四などこれを裏付ける書証の提出もあり、全体としてみると、大筋において信用することが出来るとし、甲一二四号証、乙一乃至三、三二、三四の一乃至三、四三の一乃至五、四四、四五の一乃至六をもって金銭授受の経緯を認定しているが、これらの証拠を他の証拠と比較検討してみると、原判決には経験則に違反することによる自由心証の範囲を逸脱した違法があると言うことが出来る。
(二) すなわち、確かに、田口・山下証言は、乙二、三号証の内容とほぼ符号し、一貫しているが、その信用性の判断は十分慎重にしなければならない。なぜなら、第一審、原審で争点となっていた、果たしていつプール金システムに上告人が入ったのか、入ったときの状況はどうだったのかの点について、田口・山下の供述通り、昭和四九年六月であれば、国際教育開発の売上が丁度伸びていて、田口・山下の収入も伸びていた時期であり、これを妬んだ上告人が、田口・山下に対してリベートを要求したことを説明し易い時期であるということが出来るのに対して、上告人の主張通り、赤字の国際教育開発の改革のためにピーアンドエル制を正式に導入した昭和四八年の一〇月に、その導入と引換にプール金システムに参加させられたというのであれば、到底リベートを要求できる状況になかったといえるのであるから、まさに重大な争点であったと言ってよいからである。とすれば、国際教育開発の田口・山下に対する貸金返還請求訴訟事件での田口・山下の証言は、いずれも上告人に金銭を支払ったのは昭和四八年の暮れすなわち四九年に変わる前であるというものであるのであり(甲一二〇、一二一号証)、ここでの田口・山下証言とは真っ向から反するものである。にもかかわらず原判決は容易に「大筋において信用できる」としているのは、明らかに不合理である。しかも、田口・山下そろって供述を変えているのは、不自然きわまりなく、田口・山下の通謀や、税務署等による誘導の存在が推認されるのである。例えば、田口にしろ山下にしろ、被上告人側の主尋問に対してはすらすらと答え(事前の打ち合わせが推認される)ているのに対し、上告人側の反対尋問に対しては、覚えていないとか、知らないとか、曖昧な供述をするのみで尋問にまじめに答えていないという状況がある(田口証人調書反対尋問六〇の学販はどうかとの質問に教販と思っていたとの下りはその典型)。そもそも、田口・山下や山田、徳永と言った連中は、前述のように、利益があれば誰とでも手を組み、裏に回れば他人の追い落としを図るような我の強い人間の多く集まる委託訪問販売という世界の人間であり、上告人がこれらの者と接っする過程の中で、田口・山下や山田、徳永という人物もそのような一員であるとの認識を持つに至ったということからも裏付けられるように、自分の言うことを自分の都合でどうにでも変える人間達なのである。裁判所で宣誓をした証人であるからといって、信用できる供述をするとは考えられない人間達なのである。従って、それらの証言・供述は根本的に信用できないといえる。田口・山下の各証言は、事実をすり替え[例えば、田口証人調書主尋問二三二以下の、自分には解雇される原因はない旨の供述は、大沼裕之証言(甲八二号証、なお同一二二号証一〇二頁参照)との関係で全く事実をすり替えているといえる。(同調書主尋問二二八で田口が上告人に金銭を交付しなくなったのは払えなくなったとするが、まさに、田口が働かなくなって売上が落ちたことに原因がある(乙一二号証の三)。)この点に関し、結局田口の貸金訴訟控訴審段階での大沼裕之証言の後、和解での解決となった(甲一二二号証一四六頁以下参照)。また、山下証人調書主尋問三九の自分達に収入が入らない状態をどうにかしたくて上納金を支払っていたとの点については、昭和四九年の五月の田口、山下の収入を見ても(乙二、三号証添付の別表参照)収入がないどころかかなりの収入を得ているし、むしろ上納金を支払ったとする時点よりも後の同年六月の時点の収入が減っているということからみても、完全に事実をすり替えているといえる。]、誇張し[例えば、田口証人調書一九で、月々の収入が一〇〇から一五〇万円あったと言うが、前述のとおり乙四四号証の一を見れば、二〇万円しか報酬のない月があったのである。]、自分の都合のいいような解釈を交えたもの[例えば、九州のテリトリー争いについて、上告人の嫌がらせだとする田口、山下らの証言も、調整をしたのが上告人であることを口実にした勝手な解釈にすぎない。]であり、もともと国際教育開発からの貸金返還請求訴訟に対応してでっち上げられたものである[例えば、乙二号証中の山下の告発状と、乙一六号証の田口の告発状は一字一句同じであり、通謀がみられる。]ので、信用性がないといえるものであるとともに、一見具体的な供述として信用できるかにも見えるが、それは貸金訴訟を有利に展開しようともくろんで作り上げられたストーリーであるのだから、具体的になっているにすぎず、また、つぶさに観察すれば、その内容が不合理であるといえるものなのである[例えば、山下証人調書主尋問一三九にあるように、上告人に上納金をやめるということはイコール首という具合に上告人の権力が絶大であるということを山下自身が知っているのであれば、わざわざ首になるために上告人と対決しに行く(同調書一四四)とは考えられないのである。]。また、特に山下においては、他人を陥れるために銀行からの現金引き出しに一定の法則性を持たせるようなことをする人間であり、証拠も自己に都合のいいように平気で捏造する(貸し金訴訟で山下敗訴になったのもそれによるところが大であった)人間である。山下が、上告人に支払ったとする額と銀行からの引き出し額が一致するのは、わずかに昭和五六年三月(丁度山下が銀座のクラブで田口の部下を怒鳴りつけたことに対し上告人が山下を注意したときのすぐ後のことである)から五六年一二月までの間だけである(そのあと一致がみられないのは、田口凋落の結果、山下が東京に進出でき、全国制覇が可能と山下が思うようになったからである。)。しかもその間は、わざとそのようにした旨自ら証言しているのである。(山下証人調書主尋問一九六)。そして、田口・山下いずれも、反対尋問には素直に答えず、覚えてないとか知らないとかいってごまかすような人間であるという点も見逃せない。
(三) さらに、こちらにとって有利な証言をしていた大沼裕之でさえ、反対尋問が出来なくなったのは、当時の大株主であったサントリー(なお甲二一、二二号証参照)の役員の多くが大蔵省の天下りであり、国際教育開発の山本社長がその意向を受けて指示されたからではないかとの疑問を拭えないという、上告人の認識(甲一二二号証一四六ページ以下参照)は、その後のadaNews(乙一号証)での大沼がコメントをしている点や中川証言からみて明かに合理的な認識である。上告人をしてこのような認識をさせてしまうことからも、訪問販売の世界が、前述したとおり、自分の利益のみを図る人間の多くが集まっているところであるということが分かる。このadaNewsの存在自体、販売員の引き抜きを恐れながら会社運営して行かなければならないことと、平気で他人の追い落としを図る体質をもっている世界であることを裏付けていると言って良い。(だからといって、上告人も同じであるとは決していえない。それは裁判のやり方の違いを見れば明かである。)
(四) 同じことは、山田(乙一号証)や徳永(乙五二号証)についても言える(もちろん、利害関係の程度や、各人の個性の違いで、信用性の程度も異なろう)。まず山田については、反対尋問を経ていない大蔵事務官の聴取書(乙一号証)の中で、明らかに上告人が金銭の要求をしたとしているが、そのような事実を田口、山下は認めていない(田口・山下が言っているのは、それが嫌がらせがであると受け取ってやめてもらうように上納金を支払ったということである。ちなみに通常人は嫌がらせをもって金銭の要求とは受け取らない。)またいつ上納したかも明らかにしていないし、田口・山下も認めているところの上告人から給料を受け取ったという事実関係も明らかにしていないばかりかそれと矛盾する供述をしている。徳永についても、全体としてみると、上告人に反感をもっているものと認められるところ、具体的に上告人にお金を渡すようになった時期がいつなのかは明らかにせず、ただ漠然と、売上が伸びて販売員の収入が上がるのに上告人の給料が上がらないとの上告人の不満を解消するために、金銭交付を始めたとするのみである。原判決が金銭交付を開始したと認定した昭和四九年の六月の時点では、客観的にみて、上告人にはそのような不満はなかったと言える。なぜなら、既に五月の時点で上告人の給料は飛躍的に伸びているからである(乙四三号証の一)。この点は、明らかに徳永供述の「専務は月給だから変わりません」との部分と矛盾する。また、問二五で徳永と山田が抜けてから田口、山下からの吸い上げが本格的になったと供述している点は、自分のことでないのに平気で供述していることからみて、この調書がとられる時点で徳永と田口・山下との間で通謀があったことは間違いないし、徳永には上告人がお金をもらったことにしたいという意識があると言える。このように、徳永の供述も信用性が低いと言わざるを得ないのである。ただ、徳永が、問一五に対する答えの中で、上告人が給料の全額を支出した事実を述べている点、及び、問一六の中で上告人の月給が手取りで三六万円位だったとしている点には、ある意味で真実が含まれていると言える。なぜなら、それがプール金システムが現実に存在していたことの裏付けであり、上告人が正式にプール金システムに入ったとする昭和四八年一〇月ころの状況と符合しているからである。
2 では、これに対して、上告人の供述等の信用性はどうか。
(一) 第一に陳述書(甲一一六、一二三号証)にしろ、著述(同一二二、七四号証)にしろ、証言にしろ、具体的かつ詳細であり、なんら不自然なところがなく信用性が高い。前提となる訪問販売業界の背景事情についても分かりやすく説明が為されている。しかも、その内容は、首尾一貫しており、論理的にも、また経験則からいっても合理的見地に基づいているものである。その意味で、それ自体信用できるものなのである(この点を被上告人が十分反論していないことからもそのように言える。)。しかも、それらは、きちんとした裏付け証拠に基づいており、客観的証拠とも符合した内容となっているのは、前述してきたとおりである。例えば、業界の状況については大沼証言、市野証言、中川証言や提出済みの書証によって裏付けられているし、当時の国際教育開発の財政事情や田口・山下・上告人らの関係者の収入等の状況については裏付けとなる書証が提出済みである。
(二) 第二に、上告人は、以上述べてきたことについて書籍にまでして出版しているのである(甲一二二号証)。これはまさに真実の証言、心の叫びとして受けとめざるを得ない。なぜここまでするのか。それは単なる打算からではなく、いわば、刑事事件の冤罪事件の被告人の立場に類似性を見いだすことができるであろう。
(三) 結局、以上検討した結果からすれば、上告人供述及びそれの裏付け証拠について、信用できないとする決め手は全く存在しないのである。それ故、原判決も、田口・山下の証言等をもとに前記のとおりの事実認定をしたものの、「これに反する控訴人(上告人)の主張は信用できない」という表現はしていない。出来ないからである。
3 以上を総合すると、経験則上明らかに上告人の供述が信用でき、逆に明らかに田口・山下の供述の信用性がないにもかかわらず、原判決はこれと矛盾する事実認定をしているのであり、原判決の事実認定には、重大な経験則違反・自由心証主義違反の違法があるといえ、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
五 上告人が田口・山下から受領した金額について
1 まず、原判決には、上告人が田口・山下から受領したという金額について、弁論主義違反、自由心証主義違反の違法があり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
2 すなわち、上告人は、田口・山下らと金銭をお互いにやりとりしていたという点については認めてきたが、個々具体的な金銭受取事実についてはこれを否定してきた。とすれば、上告人の昭和五四年から五六年における「収入」乃至「所得」の点が主要事実となる以上、被上告人の側で、具体的に、上告人の月々の収入、とりわけ上告人が田口・山下からいつどこでいくらの金額をどのようにして受け取っていたのか、また上告人の方から田口・山下に対して、いつどこでいくらの金額ほどのようにして支払っており、結局その差額としての収入金額がいくらになるのかなどの点を主張・立証して行かなければならないはずである。なぜなら、そのように解しない場合は、訴訟の相手方である上告人の防御の範囲は必然的に不明確になり、上告人の防御権を不当に制限することとなるからである。それにもかかわらず、原判決は、右の点の主張・立証がないのに、所得の額を認定した違法がある。
3 次に、原判決は証拠に基づかずして事実認定をしており、自由心証主義に違反している。なぜなら、自由心証主義といえども、経験則上合理的に確信を得られる程度の証拠をもって事実認定しなければならないところ、本件において原判決が採用した証拠は、経験則上、明らかに不合理乃至信用性の欠如したものばかりだからである。この点、具体的な証拠関係については、次に詳論する。
4 すなわち、本件において原判決が採用した証拠は、経験則上、明らかに不合理乃至信用性の欠如したものばかりであり、原判決には自由心証主義に違反した違法が存在する。
5 原判決は、まず、<1>「田口証人の証言によれば、田口は、原告に対し・・・円を、それぞれ支払っていたことが認められる」と認定し、次いで、<2>「山下証人の証言によれば、山下は、原告に対し、・・・円を、それぞれ支払っていたことが認められる」と認定し、さらに、<3>「控訴人は、証人田口、同山下の各証言は信用し難いと主張する。しかし、田口らの証言は、前後齟齬する部分もあるけれども、控訴人に対する金員を交付するに至った経緯、金員供与の趣旨、金員の計算方法などについて、その内容は具体的詳細である上ほぼ一貫しており、乙一、三二号証ともその内容はほぼ符号しており、金員の支出についても乙四、五、八、一三号証、同七号証の一ないし二四などこれを裏付ける書証の提出もあり、全体としてみると、大筋において信用することができると考える。」とする。
6 しかし、<1><2>で田口・山下が上告人に支払ったとする金額が巨額であり、更正決定通り課税される上告人の不利益の大きさを考えると、上告人が田口から受け取った実際の金額と田口証言にいう支払金額とが符合するかの点ついては慎重に検討しなければならないというべきである。ましてや田口証言が根本的に信用できないものであるということは前述のとおりであり、それを根拠とした認定は相当慎重でなければならいない。思うに、例えば、貸金返還請求訴訟で貸金の弁済があったとの主張があるとして、それを認定する上で、例えば領収証がある場合に、それを弁済事実の証拠として用いることが出来るのは、領収証の存在によって金銭が借り主の方から貸し主の方へ渡ったという事実が推認できるからであるが、なぜのそのように推認できるかと言えば、領収証というものがが貸し主の方から借り主の方へ渡るものであるという意味で、金銭支払の痕跡が、支払によって不利益を受ける貸し主の側に存するからである。貸し主の側に痕跡があるからこそ、公平な立場からみてその証拠の信用性が高く、価値のあるものといえるのである。借り主自ら領収書を作成した場合に証拠として認めないのが通常であろうことからもこのことがいえよう。(もちろん領収書がなくても、他の客観的合理的証拠から弁済事実を認めることは、自由心証主義をとる以上できる。)本件原判決に上げられている各証拠の中には、田口・山下の上告人に対する金銭の交付について、領収証のような上告人に金銭受領の痕跡を認められる証拠は全くない。にもかかわらず、原判決が認めるような金額を上告人が田口・山下から受け取ったと認定するのは、前述のようになんら信用性のおけない田口・山下供述をのみを前提していることからみて、あまりにも不合理且つ不公平である。金銭受領の痕跡が上告人の方に僅かに存するのは、上告人が、田口・山下とのやりとりを認めている点である。しかし、個々具体的な受領の事実と具体的な金額の点は明確に争っているのであり、田口・山下が証言する金額の金銭受領の痕跡があるとまではいえない。むしろ、上告人はプール金システムの延長として田口・山下との金銭のやりとりがあったと主張しており、この点については田口・山下の証言とは相容れないのであるから、このような痕跡と認めることは出来ないのである。
7 では、かかる見地から、田口・山下証言を鵜呑みにした原判決の事実認定が自由心証主義の範囲内にあるといえるであろうか。金員の支出についての裏付け証拠の信用性を検討する。
(一) 乙八及び一三号証について
乙八及び一三号証と田口証言による計算方法により原判決が概ね認められるとした別表一の「田口一徳」の各欄の「<1>支払金額」とをそれぞれ対照してみても明らかなとおり、銀行からの引き出し金額と支払金額とが符合する部分がなく、一見して上告人に支払うために引き出したと認められないばかりか、金額の点でかなり食い違いのあるものも存在していることから、継続して上告人に金銭を支払うために銀行から金銭を引き出した関係は認められない。しかも、田口は当時不動産購入資金を金融機関から借り入れており、その元本及び利息の返済をしなければならない状態にあったこと(甲一〇三ないし一〇七号証)、また、田口には愛人があり、その交際資金が必要であったこと(田口証人調書、市野辰夫証人調書)など、客観的にみて多額の金銭を必要とする事情の存するところからみて、右銀行から引き出した金額が、そちらに支払われていないとの裏付け証拠がなんら存在していないことからすれば、田口証言を裏付ける決め手とはなり得ないことが明かである。
(二) 乙四、五号証、同七号証の一ないし二四について
乙四、五号証と山下証言による計算方法により原判決が概ね認められるとした別表一の「山下剛」の各欄の「<2>支払金額」とをそれぞれ対照してみると、確かに、昭和五六年三月から同一二月までは、銀行から引き出した金額と、上告人に支払ったとされる金額がほぼ一致している。しかしながら、よくこれを見てみると、それまでする事のなかった端数までの引き出しをし始めた同三月の銀行引き出し額と支払ったとされる金額とが一致していないのである。わざわざ証拠化するために端数まで一致させて引き出しを行ったというが、従来通りの計算に基づいて引き出したのであれば、完全に一致するはずであるのに、一致がみられないということは、たまたまこの時だけ計算を間違えた可能性しかないわけではなく、この時初めて上告人を陥れることにターゲットを絞り、金額を大体二〇〇万円程度に合わせるような計算を考えたが、何しろ初めて行う計算だから、計算方法や計算の基礎とすべき金額が十分に確定していなかったことから誤差がでたものと見ることも、経験則上十分可能である。しかも、前述のとおり、この期間のみ端数が一致しているのは、山下がクラブで田口の部下を怒鳴りつけたのに対して上告人が山下に注意をしたことをきっかけとし、上告人と田口がつるんで山下の追い落としを図るのではないかとの山下の被害妄想によるものであると考えられるのであり(甲一二二証一一五頁)、田口の凋落で山下が勢いに乗ったころに端数の一致がなくなったのは、そのように一致させる必要がなくなったからと考えられる。むしろ、昭和五三年一二月から昭和五六年二月まで及び昭和五七年一月から同六月までの間は、所々銀行からの引き出し金額と支払金額とが数字的に近似している部分があるといえるものの、かなり食い違っている部分もあり、継続して上告人に金銭を支払うために、銀行から金銭を引き出していた関係は認められないのである。しかも、客観的にみて山下の妾といえる船引和枝の存在等からは、社会常識的にみて山下には他にも妾がいてもおかしくないと思わせるところ、実際にその裏付けとなる証拠(同一二五号証、同一二二号証一九七頁、なお山下証言反対尋問三〇参照)が提出されているが、このことからも、これらの者に対する多額の交際資金を必要としていたといえるのである。常識的にみても、山下が「ホテル」をとったのは(乙六号証)、上告人に会うためというよりも、愛人に会うためであるということがいえる。そうである以上、乙七号証も信用することが出来ない(なお反対尋問を経ていない船引の聴取書も信用できない。)。なぜなら、そもそも、船引は、長期に渡って、山下と愛人関係にあるのだから、山下の意向に添って、後からカレンダーに金額等を書き込まさせられ、大蔵事務官に対して虚偽の事実を述べさせられることが十分可能であること、また、カレンダーに後から記入することが容易であり、また、後から記入されたと思われるものがあること、カレンダーヘの記入が上告人とは無関係になされるものであること、さらに、船引が山下にだまされていたのであれば、だまされたとおりに大蔵事務官に対して供述することは十分考えられることなどからである。また、カレンダーの記載を詳細にみると、まず、わざわざ、「村上渡し分」などと明記することがそもそも通常考えられないこと、さらに、ホテル代等の表示には「¥」の記号が使用されているのに対し、「村上渡し分」には「円」で表示されている。このことからも、後から記入したと推認できるのだからである。
(三) 次に、原判決が採用しなかった証拠についても若干の検討を加える。まず、乙一四、一五号証(計算書)についてみるに、前述したとおり、上告人と無関係に作成された点で信用性が低い。しかも、例えば五三年五月分の計算書がなにゆえ六月に作成された様になっているのか、またなにゆえ六月分の支払金額の主張としてすり替えられているのかの説明がない。さらに、貸金訴訟に対抗する必要性が田口にはあったので、山下と通謀の上、田口が、後から供述に添うような計算書を捏造した可能性を否定できない。乙一四号証で昭和五三年一一月以降の計算書がないのは、乙三号証作成当時に税金の修正申告をしなければならなくなるからである。乙一五号証は原本が存在しないが、それ自体いかにも不自然であり、また、乙三号証に添付されていないことから、乙一五号証が提出される直前に作成された可能性もあるところ、ボールペンでかかれたものである場合には、最近書かれたものか、そうでないのかの鑑定も可能であることから、真実を隠すためにあえて原本をなくしたこととした可能性も否定できない。原判決がこれらの証拠を採用しなかったのも、その信用性が疑問だったからであるとすれば、そのような証拠を作成した証人の証言も根本的に疑ってかかるべきである。にもかかわらず田口証人の証言を信用できるとしている原判決は明らかに不合理である。
(四) では、田口の計算方法と山下の計算方法とが一致している点が、果たして、田口・山下証言の信用性を高めるといえるのか。答えは否である。なぜなら、前述したとおり、田口・山下は国際教育開発から資金返還請求訴訟を提起されており、これに対して解雇が不当であるとして争ってきた経緯があり、田口・山下が通じていることは間違いない事実である。田口・山下ともに自分に有利なことは何でも平気でする人間であるというのは前述したとおりであるから、両者が通謀して、山下がでっち上げた計算方法を田口が踏襲した可能性を否定できないからである。
(五) 田口証言の信用性が低いといえるもう一つの根拠として、田口が、鶴田信也という元税務署員に帳簿を作らせ、その帳簿には田口が上告人に支払ったとされる金額の痕跡がないと推認される点が上げられる。すなわち、本件更正処分の異議決定と審査請求棄却の裁決の理由がお粗末なものであったのにしては時間がかかりすぎているのが、予め税務署で計画された、鶴田信也の犯罪を隠ぺいし、かつ田口の当時の青色申告の帳簿を本件訴訟の法定の場に出さないようにして、税務署側に有利な判決を引き出そうとするための税務署の陰謀によるものであるとの上告人の疑念(甲一二二号証一五一頁以下、特に一五六頁)は、上告人の体験と洞察力に裏付けられた推測ということができるところ、駒谷らが、上告人に対する税務調査を始めたころからの経緯からすれば、当然税務署側は田口の帳簿を把握していたはずであり、それが上告人の所得額立証の決め手になるのであれば、証拠とし提出すべきであり、また、提出する事が法律に違反する等、提出が不都合と見られる事情は一般的には存しないことからすると、なぜこれが出てきていないかということは、右田口の帳簿上に上告人に対する支払事実の痕跡がないから、すなわち、田口証言の証拠としての信用性という点でマイナスになるからに他ならないからである。
(補足)
この点について付言して主張を加えると、かかる更正決定、異議決定、裁決の手続きは、著しく不相当で違法なものであるから(第一審で併合された昭和六一年行ウ第一二〇号参照)、課税標準の総額如何にかかわらず、更正処分は判決をもって取り消されるべきものと考える。
(六) 以上から、既に、原判決が採証法則、経験則の適用を誤り、自由心証主義の範囲を逸脱する事実認定を行っていることは明かである。しかし、さらに、上告人の供述の信用性を検討する。なぜなら、このことによって、一層原判決の経験則違反が明かとなるからである。原判決は、「原告の供述は、抽象的であって、その支払額の算出の変遷の基準についても分からないと述べたり、大ざっぱな話は出ていたと述べるなど、曖昧なものであるし、右支払額と控訴人の支払額との比較についても、大体同じくらいじゃないかと思う、逆に余計に渡していたんじゃないかなと思うなど、不明確な供述にとどまるものであり、また、書証等による裏付けを伴わないものであるから」田口、山下証言内容に比して採用できないとする。しかしながら、金額の計算自体抽象的であるのは田口・山下とて同じであるし、むしろプール金制度との関係で合理的な内容の計算方法といえるし、もともと支払金額が大ざっぱに決められる性質のものであったのであるから、計算方法の基準の変遷についても、それを覚えていなくてもなんら不自然ではないし、上告人は田口・山下の供述するような著しい計算方法の変遷がないと思っていたからこそそのように供述したと考えられるので、むしろ一貫しているといえる。著しい計算方法の変遷があったとする田口の供述の方が信用できないし、山下が、なんらそれに対してなんら文句をいわないというのも、山下の性格等に鑑みると不自然であるのに対し、上告人が著しい変遷がないと主張している方が、プール金システムの性質との関係で辻褄が合っているといえる。けだし、プール金システムは、各人の収入を平準化するシステムだからである。さらに、上告人が田口・山下から交付を受けた具体的金額については、正確に記憶していないから曖昧な証言をしたかのように聞こえたにすぎないのであり、金額をごまかすために曖昧に供述したものではない。そもそも、プール金の背景事情については、上告人は具体的に記憶しているのであり、ということは、上告人の記憶のポイントがそのような大局的視点におかれたものであったといえるところ、具体的金額については、記憶のポイントがおかれていなかったにすぎない。なぜおかれなかったかというと、手取りの三分の一と決めておけば後は、いちいち細かいことに気を配らないようにしていたことと、田口・山下の収入が一定せず、その都度変わるものなので、いちいち覚えていられない性質のものであったからである。なぜ細かい点に気を配らなかったかと言えば、田口・山下と上告人との間には、相互の信頼関係があったからであり、また、上告人の意識としては、自分の稼いだ、税引き後の可処分所得のやりとりにすぎないのだから、何も証拠を残す必要がないと感じたことと、一蓮托生の保証のためとはいえ、事情を知らない他人からみるとあまりよく思われないであろうし、実際、このことで、あることないことを第三者に言われたという経緯があることから、むしろ領収証は必要ないと感じたからであり、それ自体一貫した自然な内容である。金額が大体同じであると証言したのは、前記別表上告人が田口に支払った額の合計額と上告人が認めた上告人が田口・山下から受領した金額の合計額を対比してみても分かるとおり、実際田口・山下と自分の実質的な収入がそれほど変わらず、したがってやりとりの金額も大差ないものと認識していたからであるし、自分の方が多いかも知れないと証言したのは、実際退職金等で多額の金銭を交付していたことなどからそのようにも感じたからであり、さらに、一見不明確な供述に見えたのは、覚えてもいない具体的金額など説明のしようがないと上告人が思っていたからである。このこと自体、上告人が素直な性格で、論理的思考力の持ち主であり、自然な供述をしているということができる。そして、書証による裏付けがないといっても、証拠を残していないということで一貫しており、なんら矛盾はなく、むしろ書証がない点が上告人が金銭を受け取った事実の立証において被上告人側に不利であることや田口・山下の証言を裏付ける書証の信用性が極めて低いといわざるを得ない点と比較すれば、むしろ、裏付け書証のない上告人の証言の信用性の方が高いということが出来るのである。
(七) 以上検討したことからみても、田口・山下証言のみでは、到底、確信を得られる程度に上告人が原判決通りの収入を得ていたと認めることは出来ないのである。例えば、上告人の資産形成の点で、増減法に基づく緻密な立証の結果、上告人に金銭受領の痕跡が認められるなどの、特段の事情がない以上、田口・山下証言という人証のみで安易に事実認定した原判決には自由心証主義違反の違法があるのであり、かかる違法が判決に影響を及ぼすことは明かであるから、是非とも原判決は破棄されなければならない。けだし、この程度で課税処分を受けるようになったのでは、国民は予測可能で安定した経済生活を送ることが出来なくなってしまうからである。
六 租税法律主義違反の主張
1 原判決は、憲法八四条の租税法律主義乃至国の財政処理の一般原則(憲法八三条)に違反している。
2 思うに、国民が秩序ある経済生活を為し得る(憲法一三、二二、二九、三〇条)のは、経済生活上の予測可能性がある程度国によって担保されているからに他ならない。その予測可能性を担保するために、国家に議会が存在し、国民に対する課税権行使を、国民の代表者で構成する議会立法に基づかせているのである(憲法八三、八四条、租税法律主義)。かかる租税法律主義を実効化あらしめるためには、課税の対象たる所得金額等が課税を受ける者に対して明確になっていなければならない筈である(課税要件明確主義)。とするならば、所得税法上に規定されている「所得」の範囲については、それを課税庁が明確に主張・立証した上で、課税をしなければならないはずであり、その前提として、課税対象となる者の収入金額を明確に主張・立証した上で確定しなければならないはずである。けだし、そう解しなければ、課税の対象となる者がいかなる範囲について防御権を行使すれば良いのか分からず、課税対象者に著しい不利益が課せられるからである。にもかかわらず、原判決は、田口の上告人に対する具体的な支払金額は「概ね別表一の「田口一徳」の各欄の「<1>支払金額」の各欄記載の金額となることが推認できる。」とし、山下の上告人に対する具体的な支払金額は「概ね別表一の「山下剛」の各欄の「<2>支払金額」の各欄記載の金額となることが推認できる。」としている。「概ね」「推認できる」の表現からも分かるとおり、明らかに所得金額が明かでないままに、また、前述のとおり、前提となる事実認定そのものが経験則・自由心証主義に違反いた不合理で違法なものであるにもかかわらず、被上告人の上告人に対する更正処分を適法としている。従って、原判決は、課税要件明確主義に違反し、ひいては租税法律主義に違反する。
3 さらに、租税法律主義のもとでは、国民に対する課税処分において、行政庁の自由裁量は否定されるべきである。なぜなら、民主主義的国家の運営の基本が、国民からの税収によってまかなわれるものであり、国民の納税義務に対応した税の徴収が非常に公共性の強い性質のもので、憲法一四条の平等原則の要請が強く働くものだからである(田中二郎「租税法」五九頁以下)。とするならば、例えば、収入が少なくとも何円以上であり、その範囲内での課税であるから課税処分は適法であるというような、行政庁の自由裁量を認めてしまうような課税処分の運用乃至それを認めるような判決を下すことは許されないというべきである。従って、原判決が「そうすると、本件更正決定に係る総所得金額等はいずれも右の金額の範囲内にあることは明かであるから、本件各更正決定及び本件各過少申告加算税賦課決定は適法なものというべきことになる。」としている点は、以上に鑑み、明らかに租税法律主義に反する内容のものであるということができる。
4 以上から、原判決は、租税法律主義に違反している。
七 まとめ
本件で原審が認定したリベート類は、世間一般常識に所謂リベートの金額としては、法外な金額であって、(通常の商取引においては、多くても売上の三パーセントくらいが限度である。)田口・山下にしても自己の生活が成り立って行かないほどの金額を、上告人に交付することは、経験則上とうてい考えられない。結局、本件更正決定は、貸し金訴訟への対抗として田口・山下が出した告発に、被上告人がまんまと乗せられた結果として出されたものである。その意味で、まさに本件は、理由なくして課税処分を受ける上告人の、いわば冤罪事件であって、速やかに原判決は破棄されるべきものである。
以上
(平成六年(行ツ)第一一九号 上告人 村上静雄)
上告理由書の訂正申立書
上告理由書添付の別表中、「上告人が田口及び山下に支払った金額」欄の昭和五六年一二月分については、上告人が昭和五六年一二月一六日にティービーエス・ブリタニカを退職し、その際支給を受けた退職金三〇〇〇万円の中から田口・山下に八一〇万円ずつ、計一六二〇万円を支払っているので、これを加算する。したがってまた、昭和五六年分の合計額は、金二九〇三万六七六八円である。なお、上告人主張金額及びその差額を右訂正を含めて別表8に記載した。
以上